「飲まなくても治るのでは?」という疑問に歯科医師がお答えします
歯を抜いた後、歯科医院で抗生物質や痛み止めを処方されることは珍しくありません。
しかし患者さんから、
「本当に飲まないといけないのですか?」
「飲まなくても自然に治る気がするのですが……」
という質問を受けることがあります。

今回は、なぜ抜歯後に薬が処方されるのか、そして飲まなかった場合にどのようなリスクがあるのかについて解説します。
歯科医師は必要のない薬を処方することはできません
まず知っていただきたいのは、歯科医師は必要のない薬を自由に処方できるわけではありません。
法律上も医学的にも、その時点で患者さんに必要だと判断した薬だけを処方しています。
「製薬会社から利益をもらって薬をたくさん出しているのでは?」
と心配される方もいるかもしれません。
確かに医科の世界では、昔、製薬会社の営業担当者(いわゆるプロパー)が大学病院などへ積極的に営業を行い、それが社会問題になった時代もありました。

しかし歯科の世界では事情がかなり異なります。
歯科医院で使用する薬の量は医科と比べると非常に少なく、製薬会社にとって営業活動をしてまで売り上げを伸ばすメリットはほとんどありません。
実際、当院でも30年以上診療を続けていますが、製薬会社の営業担当者が薬の営業に来たことは一度もありません。
つまり、抜歯後のお薬は「営業の結果」ではなく、患者さんの治療を安全に進めるために必要と判断して処方されているものなのです。
抜歯をすると体には「穴」が開きます
歯を抜くということは、歯があった場所に穴ができるということです。
この穴は単なる歯ぐきの傷ではありません。
歯ぐきの奥には顎の骨があり、抜歯直後はその骨が露出した状態になります。

実は骨という組織は、本来空気に触れることを前提としていません。
健康な体を考えてみると、骨が直接空気に触れている場所は基本的に存在しません。
その意味では、歯は体の内部にある骨と口の中という外の世界を貫通している、とても特殊な存在なのです。
その歯が抜けると、一時的に骨が露出する状態になります。
最初に行われる治療は「血液が穴をふさぐこと」
抜歯をするとすぐに出血します。
「血が出て困る」と思われるかもしれませんが、この出血は非常に重要です。
血液は抜歯した穴を満たし、「血餅(けっぺい)」と呼ばれる血のかたまりになります。
この血餅が天然のばんそうこうのような役割を果たし、
- 骨を外界から守る
- 細菌の侵入を防ぐ
- 新しい骨や歯ぐきが作られる足場になる
という重要な働きをしています。

つまり、抜歯後は穴の中がしっかり血液で満たされていることが正常な治癒への第一歩なのです。
治癒を邪魔するのが口の中の細菌です
しかし口の中には非常に多くの細菌が住んでいます。
もちろんそのすべてが悪い細菌ではありません。
しかし中には、傷口に感染して治癒を妨げる細菌も存在します。
もし傷口で細菌が増えてしまうと、
- 炎症が強くなる
- 痛みが長引く
- 治りが悪くなる
ということが起こります。

そのリスクを少しでも減らすために処方されるのが抗生物質です。
「飲まなくても治る人」は確かにいます
ここで疑問になるのが、
「未然に防ぐためなら、飲まなくても問題なく治る人もいるのでは?」
ということです。
これは実はその通りです。
傷が小さく、感染のリスクも低い抜歯では、抗生物質を飲まなくても問題なく治る方もたくさんいると思われます。

では、なぜ多くの歯科医院で処方するのでしょうか。
理由は簡単です。
治癒不全になるかどうかは、抜歯した時点では100%予測できないからです。
「この患者さんは絶対に感染しません。」
そう断言できる歯科医師はいません。
一方で、もし感染を起こしてしまえば患者さんは大きな痛みに苦しみます。
そのため、リスクがある以上は、あらかじめ抗生物質で予防しておこうという考え方になります。
歯科医師は責任も考えて処方しています
もう一つ現実的な問題があります。
もし治癒不全になれば、
「先生の抜き方が悪かったのでは?」
と思われることもあります。
もちろん実際には患者さんの体質や免疫、細菌の状態など、多くの要因が関係しています。
しかし患者さんから見れば、その違いは分かりません。
だからこそ歯科医師は慎重になります。

「必要なかったかもしれない薬」を処方しているのではなく、
「万が一を防ぐために必要と判断した薬」を処方しているのです。
歯科医師は、治療後の経過についても責任を背負いながら処方を行っています。
ドライソケットとは?
抜歯後に最も有名なトラブルが「ドライソケット」です。
正式には抜歯窩治癒不全症とも呼ばれます。
本来できるはずの血餅が失われたり、十分に形成されなかったりすると、骨が露出した状態が続いてしまいます。

すると細菌が繁殖しやすくなり、
- 強い痛み
- 治癒の遅れ
- 食事がつらい
- ズキズキした痛みが続く
などの症状が現れます。
通常の抜歯後の痛みは数日で軽くなっていきますが、ドライソケットになると1か月近く痛みが続くこともあります。
そのため、決して軽く考えられるものではありません。
ドライソケットになったらどうする?
もしドライソケットになった場合は、
まず抗生物質を追加・延長して感染を抑えます。
また必要に応じて、抗生物質を含ませたガーゼや綿を抜歯した穴へ入れることもあります。
ただし、これらはあくまでも治りやすい環境を整える治療です。

実際に傷を治しているのは薬ではありません。
患者さん自身の体が、新しい骨や歯ぐきを作って治しているのです。
私たち歯科医師は、その自然治癒が順調に進むようサポートしているに過ぎません。
ごくまれに「治療をやり直す」こともあります
それでも治癒が進まない場合には、
抜歯窩再掻把(ばっしかさいそうは)
という処置を行うことがあります。
これは、一度治癒が止まってしまった抜歯窩の中を専用の器具で軽く掻き、新たに出血させる方法です。

つまり、傷をもう一度新鮮な状態に戻し、最初から治癒をやり直すという考え方です。
もちろん麻酔をして行いますが、麻酔が切れた後はそれなりの痛みを伴います。
幸い、この処置が必要になるケースはごくまれです。
だからこそ、多くの歯科医師は最初の段階で抗生物質を処方し、できるだけ順調に治ってもらいたいと考えているのです。
まとめ
抜歯後に処方される抗生物質は、「何となく出している薬」ではありません。
もちろん、飲まなくても問題なく治る方もいます。
しかし、それは結果論であり、抜歯した直後には誰にも予測できません。
感染やドライソケットを予防し、できるだけ安全に治癒を進めるために、多くの場合で抗生物質が処方されています。
薬は体の治癒を代わりに行うものではありません。
治しているのは、患者さん自身が持っている自然治癒力です。
その力が十分に発揮されるように、細菌による邪魔をできるだけ減らす――それが抗生物質の大切な役割なのです。
抜歯後に薬を受け取った際は、「念のための薬」ではなく、「治癒を順調に進めるためのサポート役」と考えていただければよいでしょう。
























